【クレーム事例:014】小学校近隣の住民からの苦情がエスカレートする

小学校校舎・校庭

《事例概要》
砂埃・音への苦情 ▶ 出来る限りの対応 ▶ 教育活動への苦情 ▶ 際限のない苦情に教員が疲弊

  • 申出人Xは、学校の校庭の南側の道を隔てた2階建ての戸建て住宅にお住まいです。
  • お子様が自立して家を出られたため、今は高齢のご夫婦二人暮らしです。夫である申出人Xは、昨年勤め先を定年退職されて普段ご自宅にいらっしゃいます。
  • 最初の苦情は、春先の風の強かった日に「校庭の砂埃が舞って、洗濯をやり直すことになった。」です。副校長Aが電話で応対し、ご迷惑をかけていることをお詫びし、風の強い日にはスプリンクラーで水を撒くことにしました。
  • 次は、「学校の給食時間の放送音が大きすぎる。心臓に悪い。」でした。また、副校長Aで電話で対応し、ご迷惑をかけていることをお詫びし、放送音を少し下げるようにしました。
  • 次が、「生徒が下校時に大きな声で叫びならが数人でふざけて合って通りすぎる。うるさい。危険だ。」でした。また、副校長Aが電話で対応し、ご迷惑をかけていることをお詫びし、全校生徒に下校時にふざけ合わないように指導しました。
  • そして、今回は「生徒が運動会の練習で、だらだらして見苦しい。ちゃんと指導できる教員にしろ。」です。副校長Aは、さすがに教員内容に対する苦情となると限界を超えているのではないかと思い始めます。それに、砂埃、放送音、ふざける子ども、を完全に防ぐことはできません。ほぼ、毎月新たな苦情を申し立てられるだけでなく、以前の苦情の対応が不十分だとも言われ続けます。副校長Aはこのように申出人Xの対応に時間をとられ続けることが、本来の業務に支障をきたしていると感じます。なんとかしたいと思うのですが、地域住民からの苦情を無視することはできません。困ってしまいます。

《適切な対応》
対等な立場で折衝する ▶ 要求の合理性を判断 ▶ 申出人に心理を考慮 ▶ 不適切な行動の繰り返しを抑制する 

対等な立場で話をする。互いの事情を理解し合う。

  • 学校への近隣住民からの苦情の対応は、難しい面があります。その理由は、学校と近隣住民という関係を解消することができないからです。何かの契約に基づくビジネスであれば、取引を止めて縁を切るということも可能なのですが、それができません。喧嘩別れが許されないため、それなりに円満な形におさめなければなりません。さもなければ、いずれかが力尽きるまでの終わりのない争いになって双方が疲弊します。
  • とは言え、学校は近隣住民の下僕ではありません。住民が不快に感じることを全てを解消するという姿勢では、問題をかえってこじらせます。
  • 学校にも学校の事情があり、近隣住民のも近隣住民の事情があります。相互に理解し合うことがなければ、良い解決にはなりません。
  • 申出人Xは、学校の事情について何らかの配慮をしていたのでしょうか?自分の事情だけで何かを要求されているのであれば、学校の事情も理解いただいた上での解決策というのが望ましいのです。
  • 学校の事情など何も考慮しなくてもよい。となれば、近隣住民の不満は学校が立ち退くまで続きます。学校のそばに住んでいれば、それなりの影響があることはやむを得ないものです。放送音はする。子どもは子どもらしく騒ぐ。大きな桜の木があれば毛虫もいる。土の校庭なら砂埃も立つ。それらが全く消えてなくなる小学校など、現実的ではありません。

申出人Xの要求は合理的か?

  • 最初の申出の不満は砂埃です。砂埃は確かに迷惑なのですが、土の校庭で砂埃を全く立てないというのは無理な話です。バランスを欠いた解決策は良くありません。適切な解決は、砂埃がひどい日についてはスプリンクラーを動かすように配慮するが、風の強い日の洗濯干しは控えていただく。というのが妥当なところであったと思います。今回のケースでは「風の強い日の洗濯には申出人にも気を付けていただく。」という条件を入れたかどうかが分かれ道です。この条件が入れば、申出人の要求は合理的です。この条件をなくして、砂埃を立てるな!立てたら承知しないぞ!と言う話になると理不尽な要求になります。
  • 給食時の放送音については、子どもに聞かせる放送音として適度な大きさか?近隣住民としてのある程度の許容範囲か?という観点で、音量の見直しを行い、音量が適切であれば変更しない。音量が大きすぎるのであれば変更する。というのが妥当な解決です。今回のケースでは苦情があったから苦情がなくなるように音を小さくしたというのであれば不適切であり、合理的な判断に基づいて音量を見直したのであれば適切な対応です。合理的は判断で音量を見直すことに申出人が了解すれば合理的な要求となり、そのような見直しをせずに無条件に音量をさげろという要求であれば、理不尽な要求になります。
  • 下校時に子どもがふざけて危険だ!という苦情については、子どもが軍隊のように毎日黙って足並みをそろえて帰ることを望んでいるのなら理不尽な要求です。悪ふざけのひどい子どもに指導をするのであれば合理的な要求です。その指導を誰がやるのか?学校でも指導するが、悪ふざけをしているのは校外であり申出人の家の前であるのだから気づいたら申出人からもその場で子供たちに注意をしてもらう。というのが良いバランスです。
  • 運動会の練習で子どもがだらだらしている。という苦情については、それはそれだけで過剰な要求の匂いがします。申出人の期待メリットがよく分からないからです。小さな子ども指導は難しい面があるので、子どもがだらだらしているように外から見えても、子どもの教育という観点から十分に配慮して適切に指導しているのだということを説明するだけで十分です。

申出人の心理を想定する。学校に苦情を言って、何等かの対応をさせることが目的か?

  • 申出人の要求内容と、要求頻度を踏まえると、許容範囲を越えた不利益を被っている様子はありません。定年退職した申出人Xが、誰かを相手に自分の言い分を通したいという欲求に基づいている可能性が高いです。要するに学校にペコペコさせて「爽快」を味わいたいということです。
  • それは申出人が行う「悪い行動」なので、繰り返しを防ぐためにご褒美(好子)を与えないように気を配る必要があります。

<参考> 【理論編】構造的理解/第6講:クレーマー心理

不適切な行動の繰り返しを抑制するために、何もご褒美(好子)を与えない

  • 申出人が困り事を言った時、それは困った事ですねと共感します。しかし、学校にも都合があって、それは誰にとっての困り事かと言えば、申出人・学校、双方にとって困った事ですね。とします。そして、いろいろ工夫して、合理的な対応をします。学校も工夫し、申出人も工夫します。それで、なんとか困った事は薄れます。良かったですね。という話です。この、良かったですね。で十分です。
  • この時、「良い申出を頂き、地域社会と共存するより良い学校になることができました。ありがとうございました。」などとは言わないのです。大人の対応として、そういって感謝の気持ちを伝えると、申出人は満足して円満に解決すると思うのは、大きな間違いです。まして、校長室に招待して地域社会と学校の在り方とか、よりよい学校教育についてとか、申出人に気持ち良く語らせて、校長と副校長が「ごもっともですね。素晴らしい見識ですね。」などとおだてるのは最悪です。それが申出人に対するご褒美(好子)になってしまうのです。
  • 学校の隣に住んでいれば、ある程度我慢しなければならないことを、我慢せず、あろうことか学校教育の在り方にまで注文を付けてきた人は、学校の運営を妨害しているのです。申出人Xに振りまわされる副校長Aは、本来は校長を補佐してより良い学校の運営に時間を割かなければならないのに、その邪魔をされているのです。そのような行動の繰り返しを避けるために、申出人を「爽快」にさせないことが大切なのです。理屈とか理性で説得するのはありません。心なしか「不快感」を与えるのです。
  • 上記でも説明している通り、どんな要求に対しても申出人側にも何からの守るべき約束をつけるのです。第三者が聞けば、まったく合理的だという小さな義務を課すのです。第三者から見て全く合理的な義務は、申出人も断れません。約束をつけられることは、誰でも少し負担があって「不快」なのです。申出人は学校に苦情を言うたびに、何かを約束させられて「不快」になるのです。申出人は「爽快」になれません。苦情を言うとみんながペコペコして大切な人として扱ってくれて「爽快」だから文句を繰り返すのです。苦情を言うたびに「不快」なことが増えるばかりでちっとも「爽快」にならないのであれば、申出人は学校への苦情を繰り返すのをやめます。

<参考> 【理論編】構造的理解/第8講:クレーマーを動かす